男の器量 “童門冬二”著より
殿様は、ある家臣にいった。
『池の水を、全部海水にしてくれないか』
突然何をいいだすのだろうと家臣たちは顔を見合わせた。しかし殿様のいうことである。いわれたとおり真水をかい出して海から水を引き込んだ。海水が満々と池にたたえられると殿様はいった。
『この中に鯛を入れてくれ』
家臣たちはいうとおりにした。たくさんの鯛が池の中で泳いだ。海水だから鯛も喜んで泳いだ。翌日殿様がいった。
『池の水に少し真水を混ぜてくれ』
家臣たちは変な顔をしたが、いわれたとおりにした。殿様は、毎日少しずつ真水を池に入れさせた。そして、端の方から海水をその分だけ排出するようにした。ところが、こういうように海水に少しずつ真水を入れられても、鯛たちは平気で泳いでいた。別に死にもしない。やがて、池の水は全部真水に変わってしまった。しかし、鯛は泳ぎ続けている。これを見て、殿様がいった。
『どうだ?鯛は塩辛い水ではなく、真水の中でも泳いでるではないか』
家臣たちは顔を見合わせた。この実験が何を意味しているか、彼らにもハッキリ分かったからである。この殿様は、既成概念など、考え方を変えることによっていくらでも振り払うことができる、ということを池の実験によって示したのである。
もちろん、この実験で殿様自身も決して真水の池で鯛が養殖できるとは思っていなかった。ただ、頭から『そんなことは出来ません』という家臣の気持ちの持ち方に反発したのでした。