《上杉鷹山》

アメリカのジョン・F・ケネディー大統領が生前日本人の記者団の質問に『私が最も尊敬する日本人は上杉鷹山です』と答えたという。そのお嬢さんが日本大使として就任され、山形県でもお出でいただくように積極的にアピールしていますね。

三十年程前に読んだ『上杉鷹山の研究』童門冬二著の中に私の好きな場面がありますので紹介します。

鷹山が江戸から米沢藩に初入国する際に、雪深い板谷宿で野宿をしいよいよ米沢城に近づいて行く途中で籠を止めて家臣に掛けた言葉です。

『お前たちに話したいことは、実はこういうことだ。福島から米沢への国境を越えて、板谷宿で野宿し、沿道の光景を見ながら私は正直に言って落胆した。絶望もした。それは、この国が何もかも死んでいたからだ。おそらくどんな種を植えても、この国では育つまいという気がした。だから今、領内に残っている人間たちの表情に希望がないのだ。それを私はよみがえらせなければならぬ。しかし、そんなことは私には出来ない。私は、いい気になって今までお前たちに改革案を作らせたが、しかしそれを受け入れる国の方が死んでいた。私は甘かった。・・・中略・・・
そのためには、まず、お前たちが火種になってくれ。そしてお前たちの胸に燃えているその火を、どうか心ある藩士の胸に移してほしい。その持ち場持ち場で、待っている藩士の胸に火をつけてほしい。その火が、きっと改革の火を大きく燃え立たせるであろう。』

その後、快適な状態にどっぷり浸かっている藩士の抵抗を受けるのですが、べに花・よね織等の産業を興しながら改革を着実に進めていきます。

最近の言葉を使えば“イノベーション”を起こしたということだと思いますが、実に多くの学びがあります。