労働それ自体が人間を成長させるという考えには、根拠がありません。また、どんな労働にも価値があるという考えなど愚の骨頂というべきです。
ある知人の話しですが、刈る必要のない芝生を壊れかかった芝刈り機で刈るように命じられたことがあるそうです。これは、指示・命令に服従する態度を叩き込むのが目的であり、芝刈り自体はどうでもよかったのでしょう。
私たちは、これほどに極端な仕事はしていないはずですが、“不要・不急”の仕事にどれくらいの時間を使っているでしょう!
子供たちは、数分間で習得できるはずのことや、そもそも勉強する必要のないことを学ぶために、毎日学校で悪戦苦闘を強いられているかもしれません。
時間とエネルギーと才能を浪費させる労働や勉強は、無意味などころか、知性を麻痺させてしまいます。
P・ドラッカーは、タイムマネジメントの中で仕事を書き出すことの有効性について説明をしています。書き出して“見える化”することによって、やらなくてもよい仕事が発見しやすくなるということだと私は理解しています。
優先事項よりも後先事項(マイケル・デル)の言葉にもあります。
このような視点で、日常業務を一度見直してみませんか。