読売新聞 “編集手帳”より
黒沢明監督が『用心棒』を撮影しているとき、米国の婦人が五人ほど見学に訪れた。やがて全員が真っ青になり、うち一人は気絶しかけた。血まみれの宿場町が舞台だが、体調不良の原因は“におい”であったという。
黒沢監督がある対談で回想している。『セットが血だらけで、それににおいをつけたんですよ(笑)。赤い塗料に重油かなんかまぜてね、いやなにおいがするように。奥方たちが青くなってひっくり返りそうになるわけです。』
臭気はカメラに写らない。見えない部分にも神経を使う。名作とはそのようにして生まれるらしい。
『星とたんぽぽ』という金子みすずの詩がある。
“見えぬけれどもあるんだよ・・・ 春のくるまでかくれてる つよいその根は眼にみえぬ。”
目に見える花以上に、目に見えない根を貴ぶのは映画に限らず、日本が誇るもの作りの文化である・・・いや、文化であった。目に見えないところで手を抜いた事件に揺れながら、今日は“文化の日”である。
岩盤に打ち込む杭もいわば、“用心棒”地震に用心する棒である。でたらめで信用ならぬ用心棒の放った悪臭に、世間の顔面蒼白が続く。