《自己肯定と自己受容》嫌われる勇気・・・岸見一郎著より

哲人: たとえば、60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで本当の自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが

自己(じこ)受容(じゅよう)になります。

青年: 仮に60点だったとしても、悲観(ひかん)する必要はないと?

哲人: もちろんです。欠点のない人間などいません。優越性(ゆうえつせい)の追求について説明するときにいいましたよね?人は誰しも「向上したいと思う状況」にいるのだと。

逆にいうとこれは、100点の満点の人間などひとりもいない、ということです。そこは積極的に認めていきましょう。

青年: ううむ、ポジティブなようにも聞こえるし、どこかネガティブな響きも持った話ですね。

哲人: そこで私は、「肯定的なあきらめ」という言葉を使っています。

青年: 肯定的なあきらめ?

哲人: 課題の分離もそうですが、「変えられるもの」と 「変えられないもの」を見極めるのです。われわれは「なにが与えられているか」について、変えることはできません。しかし、「与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができます。だったら「変えられないもの」に注目するのではなく、「変えられるもの」に注目するしかないでしょう。わたしのいう自己受容とは、そういうことです。

青年: 変えられるものと、変えられないもの。

哲人: ええ。交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」と受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく

〝勇気”を持つこと。それが自己受容です。