必要性の除法助動詞は必要を表わし、次のような単語が使われる。・・・べきだ(should)、・・・べきでない(should not)、・・・ねばならぬ(must)、・・・してはならぬ(must not)、当然・・・である(ought)。当然・・・ではない(ought not)。
ある一定の行動の規範が存在するのだが、それがはっきり示されていない。その規範を破ったら結末は(現実であれ空想であれ)どうなるのか? それが次のような質問で明白になる。
「もし、貴方がそうしたら、または、しなかったら、どうなりますか?」
「私はいつも他の人を優先させなければならない」
「もし、そうしないとどうなりますか?」
「教室ではしゃべっていけない」
「もし、しゃべったらどうなりますか?」
「私はこのメタ・モデルの分類を覚えなければならない」
「もし、そうしないとどうなりますか?」
「あの連中と話しちゃならねえ」
「話したらどうなる?」
「お食事の前には手を洗うのよ」
「洗わなかったどうなるの?」
一度こういった結末や理由がはっきりすると、考え直したり、批判的に評価したりできるのであるが、さもないと選択と行動の自由が制限されてしまう。
行動の規範は言うまでもなく大切である。そして、社会の道徳的な約束によって成り立っている。しかし、「貴方は商取引において正直であるべきだ」というのと、「貴方はもっとたびたび映画を見るべきだ」との間には天と地の差がある。「・・・べきだ」と「・・・べきではない」にはそれに値しない道徳的判断がしばしば混入する。
いろいろな発見は、「もし、・・・したらどうなる?」と問うことによって初めて可能だ。
・・・西へ西へと航海したら? ・・・光速で移動できたら? ・・・ペニシリンを増やしたら? ・・・地球が太陽を巡るとしたら? ・・・こういった質問が科学的方法の基礎である。