コーチング」カテゴリーアーカイブ

《セルフイメージと自信》

 セルフイメージとは“自分自身に対して、心の深い部分でどんなイメージを持っているか”ということですが、私たちの日常生活の様々な場面で恐ろしいくらいに影響をあたえています。

 例えば、『自分は、仕事で成功するタイプの人間だ。自分は運がいい』といった、ポジティブで高いセルフイメージを持っている人は、このような考えのもと、高い能力を発揮し、自信を持って望ましい結果を得ているケースが多いと考えます。

 これとは反対に、『自分はいつも上手くいかないタイプなんだよなー』というセルフイメージ(思い込み)を持っていたとしたら、そのような考えのもと、自信なさげに行動し能力も発揮されていないのではないでしょうか。

 セルフイメージを形成するプロセスには二つあります。一つは『他者評価』による影響力。もう一つは『自己評価』です。

 自己評価の中に生きている人たちは、周りの人がいくら認めても自分で認められなければ自信を持ちません。逆に他人に認められなくても、自分で正しいと思えることに自信を持っています。

 他者評価に一喜一憂している状態では、本当の意味で自信を獲得したとは言えないと思います。もちろん、自分が『よくない』と思っていても、周りの人から『すばらしい』と認められて『そうなんだ』と思える。そして、それが自信につながる。そういった段階もあると思います。

 しかし、最終的に大事なのは自分がどう感じるか、どう解釈するか。人が決めた現実ではなく、自分が現実をつくりだすことだと思います。

 セルフイメージは、自分自身で身につけたものです。だから、後から自分で変えられます。

《スコトマ・盲点》

 毎月ダスキンさんの“喜びのタネまき新聞”を楽しく読ませて頂いてますが、今月号も共感する内容でしたので、ご紹介します。
 
≪見え方・感じ方≫
 
 同じ話を聞いていても感じ方や見え方は人それぞれに異なり、街を歩いていて同じ道でも行きと帰りとは景色が違ってきます。

 先日、学生時代の先輩が知人から新しい仕事の取り組みについて話を聞いたそうです。先輩は『魅力を感じなかったので自分は何とも思わなかったが、一緒に聞いていた友人はすぐにその仕事に取り組み、大きな成果を出した』と言い『同じ話を聞いていても感じ方が違う』と話していました。

 日々の生活の中でテレビや新聞などから情報が入り、また街を歩いていても何気なく見ている風景から様々なことを感じます。しかし、その見聞きした情報などを活かす機会は少なく、ほとんど変わりなく過ごしているように感じます。同じものでも見ている位置によって見え方が異なるのと同じように、同じ話でも置かれている立場によって感じ方が違ってくるのではないでしょうか。

 私も仕事においては一方向からだけではなく、様々な視点で物事を見聞きして考え行動するように心がけていますが、仕事を離れるとつい同じ行動パターンを繰り返しているように思います。休みの日でも、いつもと違った方向から考え行動することで視野が広まり、様々な感じ方ができれば新たな発想や発見ができるのではないかと思います。
 
 ダスキン社長 山村輝治
 
 タイトルの“スコトマ”とは、ギリシャ語なのですが、直訳をすれば“盲点”ということになります。もう少し平易な言葉を使えば『思い込み・信じ込み・決めつけ・固定観念』ということになるでしょう。私たちの日常生活で色々なスコトマがきっと存在しているのだと思います。

《潜在意識をとことん使いこなす》

 新聞の広告に≪潜在意識をとことん使いこなす≫というタイトルの本が紹介されていました。ベストセラーなのだそうですが、ポイントが何個か記載されていました。

※あなたの思考が正しかろうと間違っていようと、潜在意識はそれを現実化する。
 ガ―ページイン・ガ―ページアウトの考え方ですね。2×2=5とプログラムすると、パソコンからは、5という間違った答えがアウトプットされることになります。潜在意識もこのようになり、自動的に修正をしないということです。

※潜在意識は反論しない、という事実。

※私たちは2歳までに魔法をかけられる。
 2歳程度までは、他者評価によって自己が形成されるということでしょうか。

※自分を変えるには『自分が自分をどう見ているか』を変えればよい。
 セルフイメージとセルフトークのコントロールですね。

※『○○が欲しい』と潜在意識に伝える実験。
 アファメーションの技術により伝えることが可能となります。

※自分の中の『悪い思い込み』を発見すべき理由。
 自分のなかのビリーフが自分自身を制限しています。

※人生に起きるすべてのことの責任は私たち自身にある。
 ローカス・オブ・コントロール。今の自分は自分で選択した結果。

 等など・・・・・。 

《アドラー心理学Ⅱ》

 前回に引き続きアドラー心理学で強く印象に残ったことを御紹介します。

 課題の分離・・・・アドラーは言います。ある事実に対して他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であってあなたにはどうにも出来ないことなのです。私の提案はこうです。まずは、『これは誰の課題なのか?』を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。これば具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

 自己受容と自己肯定・・・・アドラーは言います。自己肯定とは、できもしないのに『わたしはできる』『わたしは強い』と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その『できない自分』をありのまま受け入れ、できるように前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。『変えられるもの』と『変えられないもの』を見極めることです。ありのままの『このわたし』を受け入れること。交換不能なものを受け入れること。そして変えられるものについては“変えていく勇気”を持つこと。それが自己受容です。

 最後に、アドラーは言います。『幸福とは貢献感である』と。

《アドラー心理学》

 組織とか人事の仕事をしていると、動機づけとかコミュニケーションについて考える機会が多くなり自然と心理学に関心を持つようになり、時々そのような本を読みます。最近出合った“アドラー心理学”について少し紹介します。

 フロイト・ユングについてはよく耳にしますが、“アルフレッド・アドラー”については今回初めて知りました。アドラー心理学は欧米では絶大な支持を得ているようで、『どうすれば人は幸せに生きることができるか』という哲学的な問に、きわめてシンプルな答えを提示しています。私は一冊の中に何個か興味を持った部分がありました。

 まずは、『トラウマを明確に否定します』・・・・アドラーは『経験それ自体』ではなく、『経験に与える意味』によって自らを決定する、と語っています。例えば、幼いころに虐待を受けたという出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし、大切なのは、それによって何かが決定されるわけではない、ということです。私たちは過去の経験に『どのような意味を与えるか』によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

 認知心理学で説明している、『ある事実をどのように認知するか』によって“楽観的”になったり“悲観的”になったりすることと共通しているように感じました。『ある事実』は、基本的にニュートラルであり、それをどのように自分が認知するか?あるいは意味づけをほどこすか?ということなんでしょうね。

 ふたつ目は、『承認欲求を否定します』・・・・・アドラーは、他者から承認される必要などないといいます。むしろ、承認を求めてはいけないと。承認されることを願うあまり、他者が抱いた『こんな人であってほしい』という期待をなぞって生きていくことは、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 マズローの承認欲求との関連について私なりにゆっくりと考えてみたいテーマになりました。

 もう少し書きたいことがありますが、次回にします。

《脳の話し》

 人間をコントロールしているのは大脳です。大脳は脳幹、大脳辺縁系、大脳新皮質の三つに大別されますが、脳幹の上部には間脳があって、ここが自律神経の働きとホルモン分泌の働きを調整しています。

 現代の神経生理学は、あらゆる実験を通じて人間の潜在意識(実は間脳の働き)が、神経細胞のひとつひとつにまで管理力を及ぼしていることを証明しました。間脳は強力にイメージしたことを現実化していきます。間脳意識(潜在意識)でガンも治り、植物人間も甦るのです。

 また、間脳の働きは、サイコ・サイバティネクス(心の自動制御装置)の働きをします。間脳に情報を入れると、間脳は入れられた指示通り、その目標にむかって自分で舵取りをして進むのです。

 有名なアメリカの整形外科医マクスウェル・マルツは、1960年に『サイコ・サイバネティクス』という本を書き、ベストセラーになりました。

 その中で潜在意識は人間のサイバネティクス(自動制御装置)であると書かれています。潜在意識に目的を与えるとサイバネティクスが働きはじめます。人はきわめて精巧につくられている自動装置で、どんなコンピューターも及ばないというのです。

 マルツのいう潜在意識とは、間脳意識にほかなりません。間脳(潜在意識)を有効に活用して目標の実現を手にしたいものです。

《社内コーチ養成》

 社内にコーチを養成することを目的に二年がかりで研修を実施してきたある法人で、年度末に役職者を対象にした研修が実施できたことの報告を頂きました。嬉しかったので少しだけご案内します。

 研修のテーマ“活力ある組織を作るためには”
 社内コーチ二名が役職者10名に上記テーマで研修を行った。
 研修最後のフリートークで次のような話が出たそうです。

①皆が同じ目標を持ち、同じ方向を向く
②異動が当たり前という意識を持つ 新しい風
③職員の意識を変えるリーダーの役割
④昔からのやり方からの脱却、新しい考えを取り入れる
⑤モチベーションの上げ方は?
⑥指示されたことしかやらない
⑦朝礼のスタイルが10年変わっていない
⑧今やっていることを捨てられない
⑨和気あいあい・狎れ合い 緊張感も必要
⑩個々人の温度差

 役職者の方々に組織の運用とか管理といった課題意識が出てきたように感じました。元気な組織が創られることを期待します。

《真水でも生き抜いた鯛の教訓》

 男の器量 “童門冬二”著より

 殿様は、ある家臣にいった。
 
『池の水を、全部海水にしてくれないか』

 突然何をいいだすのだろうと家臣たちは顔を見合わせた。しかし殿様のいうことである。いわれたとおり真水をかい出して海から水を引き込んだ。海水が満々と池にたたえられると殿様はいった。

 『この中に鯛を入れてくれ』

 家臣たちはいうとおりにした。たくさんの鯛が池の中で泳いだ。海水だから鯛も喜んで泳いだ。翌日殿様がいった。

 『池の水に少し真水を混ぜてくれ』

 家臣たちは変な顔をしたが、いわれたとおりにした。殿様は、毎日少しずつ真水を池に入れさせた。そして、端の方から海水をその分だけ排出するようにした。ところが、こういうように海水に少しずつ真水を入れられても、鯛たちは平気で泳いでいた。別に死にもしない。やがて、池の水は全部真水に変わってしまった。しかし、鯛は泳ぎ続けている。これを見て、殿様がいった。

 『どうだ?鯛は塩辛い水ではなく、真水の中でも泳いでるではないか』

 家臣たちは顔を見合わせた。この実験が何を意味しているか、彼らにもハッキリ分かったからである。この殿様は、既成概念など、考え方を変えることによっていくらでも振り払うことができる、ということを池の実験によって示したのである。

 もちろん、この実験で殿様自身も決して真水の池で鯛が養殖できるとは思っていなかった。ただ、頭から『そんなことは出来ません』という家臣の気持ちの持ち方に反発したのでした。

《ポジティブ思考》

 ナポレオン一世の有名な言葉『わが辞書に不可能という文字はない』は、≪自分はできる≫という自己暗示の言葉だったのかもしれません。

 遺伝子の研究者で、筑波大学名誉教授の村上和雄氏は『心や意識が脳を動かす』として、脳と心の関係を次のように解き明かしています。

 『脳は私たちが“できる”と思っていることしかできない。逆に言えば“できない”と考えていることはできないのだ』

 氏は“できる”という指示を脳に伝えることが重要であり、そのために思い込みや固定観念を捨てること、素直になること、心配しないことが大切だと説きます。

 私たちには【思い込み・信じ込み・決めつけ・先入観】があります。過去の経験、あるいは周囲の評価によって≪自分の性格は○○だ≫とか≪自分の能力はこれぐらいだ≫と、自分勝手にレッテルを貼ったり枠組みを決めたりすることがあります。

 人間の能力、可能性は計り知れません。“自分にはできる”という前向きな意欲を持って、努力を怠らずに、自分の可能性を広げていきましょう。

 職場の教養より

《知識と知恵》

 読売新聞の記事より

 数人の経営者と懇談をしていたときのこと。一人の社長が『学生時代は遊んでばかりで何も勉強しなかった』と言った。同級会などでよく聞く言葉である。私は『社長がそんなことを言うと、学生たちは言葉通りに受け取って、勉強したら社長になれないと思っちゃうよ。それでいいのか!』と問いつめた。
 『私は学生時代に頑張ったから社長になれた』と言えないのは“謙虚さ”といわれるものからなのか?
 『あなたは学生時代、自分の好きな本を読み、やりたいことに没頭していたのではないですか』何かに専念することも本来の大学での勉強なんです。
 会社では、上司の指示で動くのが仕事だと考える。長年そういう『仕事』に慣れてしまうと、学生時代の勉強についても誤解してしまう。“先生から言われたことを勉強しなかった”ということを“勉強しなかった”の一言で片づけてしまうのは間違っているのではないか。正確には『学生時代は、自由な勉強をさせてもらった』ということだ。
 もう一人の年配の社長は『私は、学生時代に勉強したことは、会社に入ってから全然役に立たなかった』という。『それなら、何故大学に進学したのですか』と聞くと、『大学に入ると就職の役に立つと思ったから』これも、よく聞く言葉。
 明治時代の大学は西洋の学問を学ぶことに意味があった。いわば、知識の取得が役に立つ時代だった。ただ、現代はインターネットを活用して必要な情報はたちどころに手に入るようになった。大学では、課題を本や文献で等で調べたり、実地に調査をしたりして、悩んで悩んでこれらをまとめ、一つの結論を論理的に導き出す。この過程が重要なんです。授業や研究を通じて、問題解決の考え方を身につけることが大学生の勉強であり、自分の知恵を生み出す方法の体得なんです。

 山形大学学長 小山清人氏はこう話す。

 最近読んだ本に次のような記載があった。
 多くの人は育成を、困難な状況から救い出すことや世話を焼くことと混同しがちである。育成とは、自分の力で問題を解決するよう人々を導くことであり、彼らに代わって適切な解決策を見つけることではない。

 教育とか育成といったことについて考えさせられました。