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《アドバイスしようとしない》

 話を聞くときに絶対やってはいけないこと。そのひとつが「アドバイス」をすることや、「良いこと」を言おうとすることです。読者の方の多くは「?」と思うかもしれません。相手の話を聞くとき、とくに悩みごとや相談ごとの場合は、こちらも相手の役に立ちたいと思うからです。しかし、これが話を聞くときに陥りがちな大きな間違いだと言えるのです。

 相手の話を聞くときに大事なことは、結果的に相手が「私の話を聞いてもらえた」「私の考えていることを理解してもらえた」と思ってもらうことです。そのためにはとにかく「丁寧に聞く」という態度をとり続けることが大切なのです。アドバイスや相手の役に立ちそうな情報というのは、相手からしてみれば「余計なこと」になってしまいます。

 この「アドバイスをしない」、相手にとって役に立ちそうな「良いことを言わない」という心構えは恋人、夫婦間のコミュニケーションやビジネス上のコミュニケーションにおいても、もちろん役に立ちます。プロカウンセラーの日々の仕事でもこのような態度・姿勢で相手の話を聞きます。

 ただ、プロカウンセラーでも勘違いをしている方は多いようです。カウンセリングをした相手から「今後は先生の言われたようにしてみます」と言われたとしましょう。カウンセラーは「いい仕事ができた!」と満足できるかもしれません。しかし、このとき、実はカウンセリングは失敗しているのです。

 「先生の言われたようにしてみます」と相手が言ったのは、実は自分に対応してくれたカウンセラーに気を遣っているだけです。おそらく、心の中では「二度とこの先生には話したくない」と思っていることでしょう。なぜなら、「言われたようにしてみます」とは、「余計な」アドバイスをしてしまっている証拠だからです。相談ごとへの不用意な「アドバイス」や「良い意見」には注意しましょう。

《名越先生のQ&Aから》

名越:  これはカウンセリングの師匠(ししょう)に昔聞いた言葉なんですけど、「うつというのは、心を車に例えて言うと、ブレーキを踏(ふ)みながらアクセルを踏んでいる状態なんだ」と。うつって、普通はエンジンをかけても心が動かない状態だと思うじゃないですか。でも実は、うつの人はものすごくアクセルを踏み込んでいる。ところが、同時にブレーキも思いっきり踏んでいる。だから、動けないままエネルギーはどんどん消費される、と。
しかし、これはうつの人に限らない。僕たちは日常の中で、確かにアクセルを踏んでいるんだけど、無意識にブレーキも2割ぐらいの力では平気で踏んでいるんです。それが例えば、ネガティブな気分に心がぼんやり支配され、集中力が落ちている時ですよね。たぶんそんな時、僕たちの頭の中は「自分は今、疲れている。だから、全力を出すなんて損だから、おざなりにしたほうが省エネになって得だ」というような思考のつぶやきが起きていたりするんですね。
ところが、実際はそうじゃない。ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるのと一緒で、満足な結果も出せないし、すごくエネルギーを浪費(ろうひ)している。その上、もしかしたら、エンジンがヒートアップして、車自体を、つまり自分自身を傷つけているかもしれない。そっちのほうが実感として、僕は正しいと思っています。
でも、僕たちは潜在的(せんざいてき)に、素直になって渾身(こんしん)の力で挑(いど)むことをすごく恐れるんですよ。恐れるだけじゃなくて、もっと言うと、「頑張る」ことを嫌がる。それはなぜかと言うと、まさにブレーキを踏みながらアクセルを入れることを、僕たちは「頑張る」ことだと思い込んでいるからかもしれないんです。
ブレーキをフリーにして、アクセルを踏めばスッと走るのに、僕たちはあまりにその状態を経験していない。だから、それを「頑張る」ということだとは思えないんです。だいたい「頑張る」という感覚を持つ時は、「嫌なことを頑張る」というニュアンスになることが多い。
なるほど。だから「今、自分は心のブレーキを踏んでいる」ということが自覚できれば、そこから脚を外すことができるわけですよね。

名越:  そう。「心=車」の比喩(ひゆ)は面白いんです。だいたいアクセルは右側で踏みますよね。ブレーキは左側ですよね。これを意識、無意識とすると、右側のアクセルは比較的意識しているもの。そして、左側のブレーキを踏んでいるのは、かなり無意識的なんですよ。
だから、自分が無意識にブレーキを踏んでいる時、その瞬間を自分で捉えるのが一番大切。これはある種(しゅ)の能力開発が必要かもしれませんが、自分が一生懸命頑張ってもどこか力が出切らないと感じた時、「アクセルと同時にブレーキを踏んでいるんじゃないか」と思ってみることが第一歩だと思います。
ぼくが、自分がモヤモアした気分に覆(おお)われいると思った時、「とりあえず、目の前のことにちゃんと取り組もう」と思い直します。そうやって、自分がブレーキを踏んでいることに気づいただけでその瞬間に、かなりのブレーキが緩まります。行動を意識化するだけで、そこから心の持ちようが随分変わってくるんですよ。

なるほど。何より自覚することが、心のベクトルをポジティブに変える第一歩なんですね。

名越:  うつの人は、心が結構激しく揺れ動いている人が多いですね。その混乱を整理するためには、自分の心の状態をこまめに捉えて、その度にちょっとした正しい軌道(きどう)に戻してやることが、かなり有効なんですね。
そのためにも、「自分の心はどういう状態にあるのか」ということを、「今、ここ」の現場で気づくという経験が一番大事なんですよ。まずは、意識化、自覚の大切さを頭で理解してもらって、あとは現場でひとつひとつ実践してもらう。
こうやって、ちょこちょここまめに経験値を上げていけばいくほど、自分の心のメンテナンスを自分でやれるようになってくると思います。

《意味づけ》

あなたの身に起こるどんな出来事に対しても、あなたの好きなように意味付けができます。どんな意味付けをしてもいいのです。

意味付けがすべてなのです。
すべての人は、いつも2つの質問をしています。

「これはどういう意味なんだろう?」
「それについて、私は何をすべきだろう?」

多くの人は、その意味付けをネガティブにしてしまいます。そして、ネガティブにしてしまうことで痛みを感じてしまうのです。これがすべての問題の始まりです。
すべての痛みの感情は、ネガティブな意味付けからきています。
痛みの99パーセントではありません。100パーセントがそうなんです。

これさえわかっていれば、人生をマスターしたも同然です。

ハッピーという意味付けも、成功という意味付けもできます。
自分が達成したい目標をなんだって達成できます。
どんな目標だって達成できます。
すべての人生の経験をポジティブに意味付けできれば、好きな感情を得られますし、人生で成功できるのです。
悪い経験、嫌なことなんてありません。
たとえば、株式投資で失敗してほとんどの財産を失ったとしても、恋人に裏切られたとしても同じです。

私たちの人生の失意とは、出来事の解釈(かいしゃく)の結果なのです。
解釈というのは、その出来事が良いことなのか悪いことなのかを判断することです。痛みなのか、快楽(かいらく)なのか。
人生を効果的に生きるためには、どんなことが起ころうとも、自分を勇気づける意味付けをするのです。
たとえば、私が舞台に上がるとき転んでしまった場合、

「なんて恥ずかしい」

と思った場合は、快楽ですか?痛みですか?
転んだことをよい出来事と解釈するには、どうしたらいいでしょうか?
よい質問をするのです。

「この出来事の良い点はなんだろう?」
「この経験をどうやって生かせるだろう?」

良い質問は良いフォーカスを生みます。あなたは自動的に、出来事の良い面にフォーカスできます。

何があっても、良い解釈をするのです。

出来事そのものに意味はありません。あなたが意味を付けるのです。あなたはどんな出来事でも、ポジティブにもネガティブにも意味付けできるのです。
悲劇的な出来事に遭(あ)っても、そのことから人のために生きたり、より大きな幸せをつかむ人もいます。恵まれた出来事に遭っても、それが原因で傲慢(ごうまん)になってしまったり自分を失って大きな失敗をする人もいます。

自分自信が作る意味以外に、意味というのは存在しないのです。ですから、どんな出来事であっても、あなたの力で良い解釈はできるのです。自分自身で作る意味しか意味はないのです。

出来事はコントロールできません。しかし、あなたが出来事をどう意味付けするか、その後どんな質問をしたり行動を取るかは、コントロールできるのです。

選択の自由は、あなた自身のなかにあります。

《ローカス・オブ・コントロール》

 自分を正当に評価するためには、まず人と比べないことです。
 もちろん、健全(けんぜん)に比べるのであれば構(かま)いません。問題なのは自分より「できる人」と比較(ひかく)して、自分を卑下(ひげ)してしまうことです。
 人と自分を比べて落ち込み、「今」の自分に合わない高すぎる願望(がんぼう)や目標を持つことは、自信を形成するのにマイナス要素にしかなりません。
 同じように過去の自分と今の自分を比べることもやめましょう。
 「学生時代は、常にトップクラスの成績をおさめていた」
 「前の会社では、いつもトップセールスマンだった」
 「以前の自分にできていたことが、今の自分にはできない」
 こうした過去の実績と比べて、「今の自分は何てなさけないんだ」と自分を責める。これも本質的には「他人と比べて卑下(ひげ)する」のと同じことです。
 過去とは全て記憶です。いい体験にしろ、悪い体験にしろ、そのときの環境によって生み出されている部分が必ずあります。ですから、「過去と比べてどうか」ということに意味はありません。大事なことは、昔の自分ではなく今の自分にフォーカスすること。そして確実に小さな成功体験を積み上げていくことなのです。
 また、真のプロと呼ばれる人たちは、他者評価ではなく、自己評価の中に生きています。彼らは、周りの人がいくら認めても自分で認められなければ自信を持ちません。逆に他人が認めなくても、自分が正しいと思えることに自信を持っています。
 他者評価に一喜一憂(いっきいちゆう)している状態では、本当の意味で自信を獲得したとは言えないでしょう。
 真の自信は、人から何か言われても簡単に壊れるものではありません。
 自分がつくった作品に対して、他の人から「たいしたことないね」と言われても自分が、「すばらしい作品だ」と信じていれば自信はなくならないし、周りからどんなに「すばらしい」と絶賛(ぜっさん)されても、つくった本人が納得できなければ、自信は培(つちか)われません。
 もちろん、自分が「よくない」と思っていても、周りの人から「すばらしい」と認められて、「そうなんだ」と思える。そして、それが自信につながる。そうした段階もあると思います。
 しかし、最終的に大事なのは自分がどう感じるか、どう解釈(かいしゃく)するか。人が決めた現実ではなく、自分が現実をつくり出すことです。

《認知的不協和と正当化》

 我々が「理性」と思っているものは、「感情」から生み出されている。
 イソップ童話に「酸(す)っぱい葡萄(ぶどう)」として有名な話がある。
 キツネが木の高い所になった葡萄を見て、おいしそうだなあ、どうしても食べたいなあ、と思っている。それで、ジャンプをしてみたり、木に登ろうとしてみたり、考えられる限りの手段で取ろうと試してみる。しかし、どうしても取ることができない。あきらめたとき、キツネは突然こう言う。「は!あんな葡萄。きっと酸っぱくて、おいしくないに違いない」
 「おいしいに違いない」と信じたからたくさんの努力をしたのに、自分が取ることができなかったら、「おいしくないに違いない」と真逆のことを信じるようになったのである。その葡萄は、キツネの努力前後で何も変わっていないのにもかかわらずだ。
 「おいしそう」と思うことは、「取ることができない」という現実には、都合が悪い。おいしそうなのに取れないのは苦しい。この居心地の悪さを、脳科学では「認知的不協和」と呼ぶ。脳は、認知的不協和を解消しようとして、葡萄のことを「取れなくてかまわないくらいにまずいもの」と思うようになるのだ。
 我々は、キツネと同じように、「おいしそう」から「おいしくなさそう」へと、簡単に自分の信念を書き換えることがよくあると知られている。
 たとえば、「何もかもが素晴らしい」と思った大好きな人に対して、自分の方を振り向かなかったら、「なんだ、あんな奴!」と思ってしまうことがそうだ。本当 は、その人が悪い人だったわけではなくて、自分が振られて居心地が悪いから「あの人は悪い人だ」と信じ込んでしまっただけなのかもしれないのだ。この時我々は、自分の信念を正当化するために、その人を悪者にしていい理由を積極的に探してしまいもする。すると、大抵何かしらは見付かるものなのだ。
 つまり、正当性とは、本当に「ある」のではなく、自分の「この状態は嫌だ!」という感情に合うように、その場で「作られている」理屈なのである。

《ビリーフ》

●ビリーフとは・・・

私たちがそれぞれ持っている
「思い込みや考え方、価値観」の事をビリーフと言います。

過去に経験した出来事・体験・行動などを通じ、自分の中で意味づけを行いながら、価値観や判断基準が作られていきます。

人それぞれ持っているビリーフは、本人が思い込んでいることゆえ、客観的な真実ではなく、あくまで自分にとっての真実です。

つまり、同じ出来事であっても、人によってそれに対する意味づけや捉え方はまったく異なります。

言葉を変えれば、ビリーフとはその人にとっての世界観とも言えるかもしれません。

もちろん、私たちは自分に対してもビリーフを創り上げていて、

過去の経験などを元に、自分に対して「自分は人見知りだ」「自分は営業が得意だ」「自分は運がいい・悪い」などの意味づけを行っています。

こうしたビリーフは、幼少期の体験から無意識に作られている場合が多々あり、時にとても重要なビリーフとして、根強く私たちの行動を左右している可能性があります。

特にお金や人間関係、

そして人生に対してそれぞれ創り上げてきたビリーフの蓄積が、今のあなたの人生や世界観となって表れているのです。

●知らないうちにあなたの成功を妨げる
“制限になるビリーフ”の存在に、あなたは気づいていますか?

多くの人が、もっと豊かな生活や人生を手にしたいと望みながら、自分自身でそれを阻む“無意識のバリア(制限になるビリーフ)”を抱えています。

もちろんあなたも同様です。

このように言うと、いや、自分には制限なるビリーフなんてない、とおっしゃる方もおられますが、専門家として経験上、そういう方ほど心の深い部分に、ご自身を強く制限するビリーフを抱えている・・・
そうしたケースをたくさん見てきました。

例えば・・・

「やっぱり自分は本番に弱いから失敗してしまったんだ・・・。」
「仕事で結果を出すには、人よりもたくさん働かなければならない。」
「自分には無理。」

もしもあなたが、こうした制限になるビリーフを無意識に持っている場合、私たちの無意識は見事にそのビリーフどおりの結果を出してくれるのです。

意識上では「うまくいく」「自分はできる!」と思っていたとしても、です。

他のケースとしては、

もっとお金の自由を手にしたいと望み、お金に関する多くの勉強をしていたとしても、いつまでもお金に対するストレスがついてまわったり、望むような自由は手に入らない。

その根本には、何かしらの、「お金持ちは腹黒い、お金を手にするのは大変だ、自分はお金に恵まれない」などのようなお金に対してのマイナスなビリーフである「制限になるビリーフ」が妨げになっていることがよくあるのです。

《北風と太陽》

北風と太陽が、どちらが強いかで言い争っていました。
議論(ぎろん)ばかりしていても決まらないので、それでは力試(ちからだめ)しをして旅人(たびびと)の着物を脱がせた方が勝ちと決めようという事になりました。
北風が、始めにやりました。
北風は思いきり強く、
「ビューッ!」
と吹きつけました。
旅人は震えあがって、着物をしっかり押さえました。
そこで北風は、一段と力を入れて、
「ビュビューッ!」
と、吹きつけました。
すると旅人は、
「うーっ、寒い。これはたまらん。もう1枚着よう」
と、今まで着ていた着物の上に、もう1枚重ねて着てしまいました。
北風はがっかりして、
「きみにまかせるよ」
と、太陽に言いました。
太陽はまず始めに、ポカポカと温かく照らしました。
そして、旅人がさっき1枚よけいに着た上着を脱ぐのを見ると、今度はもっと暑い強い日差しを送りました。
ジリジリと照りつける暑さに、旅人はたまらくなって着物を全部脱ぎ捨てると、近くの川へ水浴びに行きました。

人に何かをしてもらうには、北風の様に無理やりではうまくいきません。
太陽の様に相手の気持ちになって考えれば、無理をしなくても人はちゃんと動いてくれます。

《変えられることに集中》

変えられないことに文句を言っても何も始まりません。

コントロールできないことはしょうがないと割り切る。
そしてできるところについては、全力を尽くす。

こういう心構えで仕事に向き合うと、モチベーションを下げることなく、業務に取り組むことができるのです。チルチルとミチルは、ふと鳥かごを見ると、そこには青い鳥がいる。「しあわせの青い鳥はぼくたちの家にいたのだ」と気づくのです。

ここに込められた意味は、モチベーション管理にもつながっていきます。

「モチベーションを高めてくれる世界はないだろか」と探してもどこにも見つからないでしょう。それは、あなた自身の心の持ちようであり、コントロールできないことに心を煩わせることなく、コントロールできることに集中すべきなのです。

小学生のころ、僕は将棋が好きでよく友達と指していました。ちょうど羽生善治名人がデビューしたころだったのですが、そのとき、多くの棋士が座右の銘として「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を紹介していたのが、非常に印象に残っています。

自分にできることに集中して、それ以上のどうしようもないことは天命に任せるしかない。日々、ギリギリの戦いを繰り広げている棋士が、この言葉によって、ずいぶん心の平安を得ていたのではないかと思います。

《言葉の力》

たとえば「縁の下の力持ち」にも、別個(べっこ)に、個別(こべつ)に、まなざしを集中してあげるなど、いろいろ工夫を考えるべきだということである。もちろん、人件費が高騰(こうとう)し、売上・利益の低迷(ていめい)によって原資(げんし)が限られている今日、全員にカネで報いることはできない。いかに「縁の下の力持ち」をコトバでたたえても給料を上げることはできないのだ、と反論されそうだ。

しかし、それで良いのだと思う。世の中には給料は増やせないけれども、本当に感謝していると、誠意(せいい)のあるコトバで報(むく)いるという方法があるではないか。ウソのコトバでごまかそうというのでない。誠意ある真実のコトバで感謝し、承認することに意味がないはずがない。いつの間にか高い評価も低い評価も避(さ)けてしまう仲良しクラブになった組織を、もう一度、はっきり評価がフィードバックされる組織に変革(へんかく)すること、また、その際に縁の下の力持ちを初めとする多様な貢献(こうけん)をきちんと評価すること、これが大事だということである。

「縁の下の力持ち」以外にも、多様な役割を果たしている人々が組織にはたくさん存在する。新しいアイデアを出して会社に貢献する人もいれば、複雑なシステムをミスなく運営することで会社に貢献する人もいる。若手を育成するには長(た)けている人もいれば、腐りそうな中高年層にカツを入れるのがうまい人もいる。大規模な組織になるほど、多様な貢献の仕方が可能であり、多様な生き方ができるはずである。そのすべての仕事にカネや地位で報いることはできないまでも、そのそれぞれの仕事をきちんと評価して、貢献したと承認する作業が組織運営の根幹(こんかん)のはずである。

《行動は変えられる》

「形から入って心に至る」が型の持っている本質

日本の武道には、型があります。「型から入って心に至る」が型の持っている本質だと思います。
企業でのトレーニングやコンサルティングの際、「性格だからしょうがない」とか「性格を変えなければいけないでしょうか?」というような意見や、質問を耳にします。
私はいつも、「性格まで考えると重いでしょう。もっと気軽に考えて、性格ではなく行動を変えてみたら」とお話ししています。ただ、行動を変えるといっても、漠然としていて、つかみどころがありませんから、まずは基本となる3つの行動だけをお勧めしています。
その3つとは、「1日のプランニング」「仕事の棚卸し」「自分へのアポイント」の3つです。
いわば、この3つは、「お仕事道」の「型」と言えるものです。それも基本中の基本の型です。
仕事の達人になるのも、武道の達人になるもの基本は同じだと思います。毎日毎日、基本(「型」)を繰り返し、意識しなくともできるようになる(習慣として身につく)。そのとき、達人への第一歩が記されるのだと思います。
タイムマネジメントに関する言葉でも「継続は力」というのがありますが、継続すべきは、基本(「型」)だと思います。
武道と違い、ビジネスの世界では、今まで「型」に該当するものがなかったように思います。だから、行動を変えようにも、変え方がわからなかったともいえます。
まずは、「1日のプランニング」「仕事の棚卸し」「自分へのアポイント」の基本を継続し、行動を変えるための「型」を身につけましょう。達人へのスタートです。