価格プランは1つではなく、複数のパターンを用意するようにしましょう。
たとえば、プランAは、基本プラン(オプションなし)。プランBは、基本プラン+オプション3個のデラックスバージョン、という具合に。
それぞれの価格を示して「どれにしますか?」と尋ねるのです。
1つしかプランがないと、最終的に判断するところで、買うか買わないかを選ぶことになってしまいます。このやり方では、買わないほうへ動く可能性が高くなります。
ユニクロが売れる理由の1つは、同じ商品のカラーバリエーションが多いからです。選択肢が多いと、どれかを選ぼうという意識が働きます。1点しかなければ買うか買わないかの判断になるので、買うのをあきらめる確立が高くなるのです。
営業でもお客様は、プランが数種類あればどれかを選ぼうという意識になるので、購入に前向きになります。
「買いますか、買いませんか」ということではなく、「買うとしたらAプランですか、Bプランですか」という話にすることで、何らかの購入に至る可能性を高めます。この手法を「ダブルバインド」といいます。ダブルバインドの手法を使うと、お客様に必要な商品・サービスをお客様が自ら選んで買うので、商品を勧められても押しつけられている感じがしなくなります。
もちろん、提案するプランはすべて実現可能なもので、なおかつお客様が必要としているものでなくてはなりません。
また、海外の面白い実験があります。
宝くじを用意し、100人の方に1枚1ドルで購入してもらいます。半数50人には適当にこちらで選んだくじを購入してもらいました。残りの50人には自分で選んだくじを購入してもらいました。その後「これから宝くじを買い戻すので、自分が持っているくじに値段をつけてください」と言ったところ、前者は平均2ドル、一方、後者の自分で選んだ人は平均9ドルの値段をつけたというデータがあります。
自分で選べば、それだけで価値が高くなるものなのです。
《もったいない》
この話をすると私が今後営業しづらくなるので、ホントは誰にも教えたくなかった話なのですが、とても効果的なので読者の方にだけ特別にお伝えします。
私はプレゼンテーションの時に、「もったいない」という言葉をよく使います。
「お客様の現状の問題点」と「ゴール(あるべき姿)」と「ギャップ」との関係性を一言でお客様にイメージさせる言葉が、「もったいない」なのです。本来、お客様の持つ強みを活かすことができれば、現在もうゴールが達成できていても良いにもかかわらず、それができていないのは、単にやるべきことをやっていなかったからです。やるべきことをやれば、ゴールが達成できているはずなのに、「もったいない」ということです。
お客様の現状を示し、解決策を提案した後、「もったいない」と言うと、ほとんどの案件を成約に導けます。
「せっかくいいものを持っているのに、活かし切れてないからもったいない」「あと、これだけがそろえば最強なのに、もったいない」という感じで使います。
「御社は商品力があって市場性もあるのに、今は戦略や営業力がないから売れてない。商品力や市場は持っているのに、もったいなくないですか?」
こう言われると、お客様も「確かに」とすんなり納得します。
このとき、「弊社の商品はいい商品なのに、買わないなんてもったいない」と自社の商品やサービスに結びつけないこと。あくまでお客様のいい面を誉め、その上で「もったいない」と言うから、お客様も「うちのことを分かってくれているんだ」と喜び、信頼関係が生まれるのです。
ある時はじめての提案に向かう新入社員が私にアドバイスを求めて来ました。「何か必殺技はないですか?」と。もちろん、付け焼刃の殺し文句などあるわけもないのですが、彼に「『もったいない』を10回以上言って来なさい」と指導しました。すると、驚くことに、905万円のサービスを一発クロージングしてきたのです。
それぐらい最強の言葉なのです。
皆さんもぜひ使ってみてください。使わないのは、「もったいない」ですから(笑)。
《自尊心》
競争は、自分の中にある貧困意識から出てきます。世の中に十分なお金、チャンス、愛、友情がないと感じたときに、人は焦りを覚えます。そして、相手を蹴(け)落とそうとしたり、自分に鞭(むち)打って頑張ったりするのです。
ビジネスの世界に身を置いている人は、とくに激しい競争をしています。子供の頃からの思い込みで、「競争に勝たなければいけない」と信じているからです。学校時代から、隣の人より成績が上か下かの勝負に明け暮れます。会社でも、まわりの人たちと張り合うようになるのです。でも、なぜ競争するのかまでは考えません。
大人になれば、一人でやる仕事よりチームでやる仕事の方が、はるかに多いものです。一人で正解を出すことより、仲間で知恵を出し合って結果を出す能力が求められます。ですから、学校の試験でもチームで受けた方が将来の備えになると思うのですが、そんなことは許されないでしょう。インターネットで調べれば一分で出る答えを暗記させるよりも、チームでいかにクリエイティブな答えを出すかという能力を高めた方が、よほど将来に役立つと思います。
豊かに生きている人は、競争するより協力した方がはるかに早く成功できることを体験で知っています。また彼らは誰かが勝っている、負けているという「世界」に生きていません。
幸せな人は、相手が成功したと聞いたら、「ヤッター」と素直に喜べます。他人の成功が、自分のことのように嬉しいのです。それは、その人の成功が自分の成功にもつながっていることを、体験的に知っているからです。
幸せな人が競争しないのは、競争すると疲れるからです。自分以外の何かになるために、一生懸命頑張らなければいけなくなります。ビジネスを見ても、マーケットシェアを取り合う種類のビジネスでは、利益が出にくいものです。それよりオンリーワンになって多くの人に喜んでもらうようなビジネスの方が、ストレスなく利益を出すことができます。
競争は「自分は誰か」を忘れた時におきます。自然界でも、高い木、低い木、下草、コケはそれぞれ競争することなく共生しています。
自分が一番輝く場所を見つけてください。
《ピグマリオン効果》
誰でもほめられると気持ちがいい。その気持ちいい感じは、報酬系が刺激を受けているからこそなのだ。
映画『マイ・フェア・レディ』を御存じだろうか?
オードリー・ヘップバーンが演じるロンドンの下町に住む花売り娘のイライザが、言語学者のヒギンズ教授によって、気品あるレディに仕立て上げられるという話だ。この映画のなかで、身なりは貧しく言動にも品のないイライザに対して、ヒギンズ教授は「君はなんてすばらしいんだ」「君はとっても美しいね」と実際以上にほめていく。やがてイライザは本当に美しくなり、最後には立派な気品あるレディになる。
映画に限らず、「最近きれいになったね」などと言われ、ますますきれいになる女性は多い。
《難しいトップの承継》
やり直しのきかない最も難しい人事がトップの承継である。それはギャンブルであ
る。トップとしての仕事ぶりは、トップをやらせてみなければわからない。トップへの準
備は、ほとんど行ないようがない。
しかし、行なってはならないことは簡単である。やめていく人のコピーを後継にす
えてはならない。やめていく人が「かつての自分のようだ」というのならば、コピーで
しかない。コピーは弱い。
また、十八年間トップに仕え、自身で決定したことが何もないという側近も注意し
たほうがよい。自分で決定する意欲と能力のある人が、補佐役としてそれほど長く留
まることはない。さらにまた、早くから後継と目されてきた人物も避けるべきである。
そういう人は、多くの場合、成果が必要とされ、評価され、失敗もおかしうる立場に身
をおくことのなかった人である。見た目はよいかもしれないが、成果をあげる人では
ない。
では、トップの承継にあたっての前向きな方法は何か。それは仕事に焦点を合わ
せることである。これから数年、何が最も大きな仕事になるか。次に、候補者がどの
ような成果をあげてきたかを見る。こうして組織としてのニーズと候補者の実績を合
わせればよい。
P・ドラッカー(「非営利組織の経営」)より
《メタファーとは》
メタファーとは、比喩やたとえ話のこと。
■ある状況や現象(または人や物の特徴など)を、別のものに例えて捉えていくという方法です。
これは、心理療法の世界では有名な手法で、
人に気づきを与えたり、奥深い部分の心理状態を読み取っていくこと、
あるいは、間接的に人にメッセージを埋め込んでいくことなどを可能にします。
ビジネスシーンでも、
人に影響を与えることに長けている方であれば、
プレゼン、セールスコピー、営業、コーチング、交渉など…
人とコミュニケーションする上で、
意図してメタファーを活用しています。
NLPを学んでいると、
メタファーを活用できるようになれば、
強力なスキルになるとわかってくるのですが、
そのメタファーに、徹底して特化したプログラムが
メタファー・オブ・ムーブメント(MoM)なのです。
MoMの特徴の1つは、
ほんのわずかな言語コミュニケーションから、
相手の内面にある、大量のデータを抽出することが可能だということです。
そして、独特のアプローチでセッションを行っていきます。
例えば…
・ラポールを築かない。
・従来のカウンセリングにありがちな【4つの要素】を度外視する。
・左脳を黙らせる。右脳とコミュニケーションする。
これまでNLPやコーチング、カウンセリングなどを
学んできた方にとっては、それらとまったく違うやり方に、
最初は戸惑うことも多いかもしれませんが、
大きく、ご自身のスキルを広げる学びであることは間違いないです。
《制約理論》
自社の強みと弱みを客観的(きゃくかんてき)に知るということは、経営(けいえい)戦略(せんりゃく)を立てる上で、非常に重要なことです。多くの企業には、業績向上に向けて、経営改善をしようとしても、常にその障害となるような、自社固有の問題点があります。それが何かを知り、その改善に向けて全力を集中させることが、最も効果的な方法であると教える「制約理論」(TOC)の考え方を本節ではご紹介します。
1.「制約条件」を発見し、集中的に改善する
「 制約理論」(TOC)はイスラエル生まれの経営改善手法(しゅほう)です。日本でも、この手法を取り入れて全社的な経営改善活動を開始している企業があり、注目を集めています。この理論が、参考になると思われるのは、各部門の視点ではなく、企業全体の収益向上を阻(はば)んでいる「制約条件」(ボトル・ネック)を探しだし、その改善に全力を集中せよと教えている点です。「変える部分(変動部分)」と「変えない部分(固定部分)」とを明確にし、「変えるべき部分(制約条件)」のみを変えるという集中改善手法は、中小企業向きといえるかもしれません。
「 仕事の手直しが多い」「クレームが多い」「整理整頓がきちんとできていない」状況では、コストも高く、社員の意識も向上するはずがありません。このような悪い企業風土を改善するだけでも、会社の業績改善に結びつくことは容易(ようい)に想像できます。
企業風土の改善は、経営改善であり、業績向上に直結します。そして企業風土(ふうど)改善のスタートは全社員の認識の一致と社長の決断がポイントです。全社員がわが社に企業風土が良くないと認識をしていても、社長のかけ声だけでは風土改善は進みません。社長が社長のやるべき仕事をきちんと行い、幹部の協力を引き出し、その上で全社員を巻き込んで改善を図(はか)っていく必要があります。
2.悪い企業風土、良い企業風土
悪い企業風土のあらわれと見られる具体的な現象をとらえて、一つひとつ改善していくことが重要です。悪い企業風土を示している現象は次ページの図表の通りです。
良い企業風土の会社には、全体に活気があり、業績も好調です。企業風土は一朝一夕の間に形成されたわけではなく、永年(えいねん)の間にできあがったものであり、企業のトップや幹部層(かんぶそう)の性格、思考スタイルなどを色濃く反映したものです。
3.企業風土は誰が作っているのか
企業風土は集団を構成する一人ひとりの総和(そうわ)でできあがっています。即(すなわ)ち企業に所属する人間が入れ替われば風土も変化します。しかし、風土形成に大きな影響力を持っているのは、社長です。
大企業でも、日産自動車の劇的な経営改善が行われた際には、トップのカルロス・ゴーン氏が見事に企業風土の改善を行ったことは、よく知られています。《色々とトラブルはありましたが》
中小(ちゅうしょう)零細(れいさい)企業(きぎょう)の場合には、トップの交代が少なく、社員の流動化も少ないために、企業風土が澱みがちであり、意識的に改善に取り組んでいかないと、沈滞ムードが蔓延(まんえん)することが少なくありません。しかし、企業風土を規定しているのはトップだけではなく、何といっても幹部を含めた全社員であり、一人ひとりの行動や姿勢が大きな影響力を持っていることを自覚して、良い企業風土を形成するように、全員が努力しましょう。
《聞く力》・・・阿川佐和子より
97歳の反論
「ちょっと、私の話も聞いてちょうだい」
驚きました。でも確かに伯母の言い分はもっともです。いくら高齢と言ってもまだ気力も体力もしっかりしています。昔に比べれば言葉を発するテンポが遅くなってはいるものの、人と会話が成立しないほど惚(ほう)けているわけではありません。
「あ、ごめん」
反省しました。
そのとき私は初めて、老人のテンポについて考えました。テンポが遅く、質問してもなかなか答えが返ってこないと、つい、「あ、惚(ほう)けているのかな」と思い込む。そしてこちらは何かと忙しいものだから、言葉が出てくるまで待っていられない。よって催促する。あるいは代わりに答えてあげる。
「何が欲しいの?」
「あ-……」
「お醤油(しょうゆ)? お醤油はあんまりかけない方がいいって、お医者様に言われたでしょ。塩分が強いんだから。薄味が身体にいいのよ」
「でも、明日は……」
「なに、明日? 明日のことは今、決めなくていいの。心配ないから、ね」
高齢者のゆっくりした話し方を聞いていると、最後まで我慢できず、つい先廻りしたくなります。でも、待っていられないのは一方的にこちらの都合であり、高齢者は自分の言い分を無視されて、おおいに傷ついていることでしょう。
高齢者に限らず、人にはそれぞれに話すテンポというものがあります。
ゆっくり話をする人にインタビューするとき、相手の答えが出てくる前に、こちらで予測して答えてしまうことがある。どちらかというとせっかちな私は、ときどき、やってしまいます。
答えるはずのゲストが答えない。しばしの沈黙が続く。どうしよう。この答えは諦(あきら)めて、次の質問に切り替えようか。それとももう少し待とうか。
迷うところです。迷った末、同じ質問を、別の言葉で言い換えることもあります。そうすることが正解である場合もありますが、あまり多用しない方がいい。
言葉を置き換えたり、答えを促(うなが)したり、一見、親切な聞き手のようですが、結果的には答えようとしている人を追い立てることになります。
ここは我慢大会。沈黙が続いた時、私はいつも、そう思います。テレビやラジオの仕事の場合は、放送中の沈黙は、放送事故と思われかねないので、あまり長く待つことができませんけれど、それ以外での対談なら、できるだけ待つ。
若いころはこれができませんでした。質問を見失ったと思われることが怖かったからです。答える側がテキパキ答えてくれないなら、すぐさま次の質問に移ることの方が有能だと思っていたのです。でも、この頃は、じっと待っていると、相手の心や脳みそがその人なりのペースで動いていると感じられることがあります。決して故意に黙っているわけではない。今、お相手は、ゆっくりと考えているのだ。そのペースを崩すより、静かに控えて、新たな言葉が出てくるのを待とう。その結果、思いもかけない貴重な言葉を得たことは、今までにもたくさんありました。
阿川佐和子 「聞く力」より
《主観的認知》 嫌われる勇希・・・岸見一郎著より
哲人: 事実として、なにかが欠けていたり、劣っていたりするわけではなかったのです。たしかに155センチメートルという身長は平均よりも低く、なお且つ客観的に測定された数字です。一見すると、劣等(れっとう)性に思えるでしょう。しかし問題は、その身長についてわたしがどのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか、なのです。
青年:どういう意味です?
哲人: わたしが自分の身長に感じていたのは、あくまでも他者との比較
つまりは対人関係 のなかで生まれた、主観的な「劣等感」だったのです。もしも比べるべき他者が存在しなければ、私は自分の身長が低いなどと思いもしなかったはずですから。あなたもいま、さまざまな劣等感を抱え、苦しめられているでしょう。しかし、それは客観的な「劣等生」ではなく、主観的な「劣等感」であることを理解してください。身長のような問題でさえも、主観に還元されるのです。
青年: つまり、われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだと?
哲人: そのとおりです。私は友人の「お前には人をくつろがせる才能があるんだ」という言葉に、ひとつ気づきを得ました。自分の身長も「人をくつろがせる」とか他者を威圧(いあつ)しない」という観点から見ると、それなりの長所になりうるのだ、と。もちろん、これは主観的な解釈です。もっといえば勝手な思い込みです。
ところが主観にはひとつだけいいところがあります。それは、自分の手で選択可能だというところです。自分の身長について長所と見るのか、それとも短所と見るのか。いずれも主観に委(ゆだ)ねられているからこそ、わたしはどちらを選ぶこともできます。
青年: ライフスタイルを選びなおす、というあの議論ですね?
哲人: そうです。われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし、主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そして私たちは主観的な世界の住人である。と・・・。
《承認欲求》嫌われる勇気・・・岸見一郎著より
青年: ゴミを拾うのは「みんなのため」です。みんなのために汗をながしているのに、感謝の言葉ひとつもらえない。だったらやる気も失せるでしょう。
哲人: 承認欲求の危うさは、ここにあります。いったいどうして人は他者からの承認を求めるか? 多くの場合、それは、賞罰(しょうばつ)教育の影響なのです。
青年: 賞罰教育?
哲人: 適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。褒めてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。そして誰からも褒めてもらえなければ、憤慨(ふんがい)するか、二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。
青年: 違います! 話を矮小化(わいしょうか)しないでいただきたい! わたしは教育を論じているのではありません。好きな人から認められたいと思うこと、身近な人から受け入れられたいと思うこと、これは当たり前の欲求です!
哲人: あなたは大きな勘違いをしている。いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
青年: なんですって?
哲人: あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。
青年: い、いや、それはあまりにも身勝手な議論です! 自分のことだけを考えて独善的(どくぜんてき)に生きろとおっしゃるのですか?
哲人: ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」と。あなたは、あなただけの人生を生きています。誰のために生きているのかといえば、無論あなたのためです。そしてもし、自分のために生きていないのだとすれば、いったい誰があなたの人生を生きてくれるのでしょうか。われわれは、究極的には「わたし」のことを考えて生きている。そう考えてはいけない理由はありません。
青年: 先生、あなたはやはりニヒリズムの毒に冒されている! 究極的には「わたし」のことを考えて生きている?それでもいい、ですって? なんと卑劣な考え方だ!
哲人: ニヒリズムではありません。むしろ逆です。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。