《経験に与える意味》嫌われる勇気・・・岸見一郎著より

青年:目的にかなうものを見つけ出す?

哲人:そのとおりです。アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。たとえば大きな災害に見舞(みま)われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによって何かが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

青年: じゃあ、先生はわたしの友人が好きこのんで自室に閉じこもっているとでも?自ら閉じこもることを選んだとでも?冗談じゃありません。自分で選んだのではなく、選ばされたのです。今の自分を、選択せざるをえなかったのです。

哲人: ちがいます。仮にご友人が「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できないのだ」と考えているんだとすれば、それは彼のなかにそう考えたい「目的」があるのです。

青年: どんな目的です?

哲人: 直近としては「外に出ない」という目的があるでしょう。外に出ないために不安や恐怖をつくり出している。

青年: どうして外に出たくないのですか?問題はそこでしょう。

哲人: では、あなたが親だった場合を考えて下さい。もしも自分の子どもが部屋に引きこもっていたらあなたはどう思いますか?

青年:それはもちろん心配しますよ。どうすれば社会復帰してくれるのか、どうすれば元気を取り戻してくれるのか、そして自分の子育ては間違っていたのか。真剣に思い悩むだろうし、社会復帰に向けてありとあらゆる努力を試みるでしょう。

哲人: 問題はそこです。

青年: どこです?

哲人: 外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることができる。まるで腫(は)れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。

他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸(ぼんよう)なるわたし、あるいは他者よりも見劣(みおと)りしたわたしになってしまう。そして誰もわたしを大切に扱ってくれなくなる。…これなどは、引きこもりの人によくある話です。